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主治医に聴く~「解説」に替えて
南風原先生との出会い 池田 先生、今日はお忙しいところをお時間を割いてくださってありがとうございます。病院を分刻みで飛び回っていらっしゃる先生を捕まえてお時間を頂戴することは、本当は私 としても心苦しいんですけど、だんだん図々しくなりまして……で、今日はこういう機会をいただけたので、私が日頃診察室では聞きたくても聞けないような個人的な興味の範囲のこと も聞いてしまおうと思って、質問も幾つか用意してきたんです。まずこれは前々から一度お聞きしたいと思っていたことなんですけど、先生は飯田病院におこしになって、前の主治医の 先生から私の厚いカルテをドサッと引き渡されたわけですよね。その引継ぎの時にどんなお話が出たのでしょうか。私本当によくない患者だったんでそこらへんがすごく心配なんです。 南風原 (笑)そうですね。確かに厚いカルテでしたね。全部目を通すのは気の遠くなるような作業です。そういうわけで、前任の先生が今までの経過をサマリーとしてまとめて残し てくれてあったんです。で、何が書いてあったかというと、「彼女は人と出会う才能のある」と……そんなことが書いてありました。 池田 あとは…… 南風原 うーん、いろいろかな(笑)。でも、われわれの仕事は、悪い部分とか病的な部分ばっかりを探す仕事じゃないんですよ。前任の先生もそうですけど、その人のいい部分とか 、伸びていく部分を探した方が治療的だってスタンスもあって、「やあ、いろんなことがあったけど、彼女はとにかく人に出会う才能がある人だよ」って伝えてくれたんですね。 断酒会につながること 池田 そうだったんですか。……で、バトンタッチされた時は私が底をついた時っていうか、塾も手放して、まだ断酒会につながるかつながらないかの頃だったと思います。そこか ら、関わっていただいて、実際どうしたか。「どう」って聞かれても困るでしょうけど。 南風原 (笑)そうだね……どうっていわれてもね……(笑)ほら、受け持った当初ってのは、確かにドラマチックな時期でしたね。いろいろと…… 池田 まあ、ドラマチックな時期だなんてうまいこといっていただいて……ありがとうございます。 南風原 でね、断酒会につながったあとに池田さんがしきりにおっしゃっていて、記憶に残っていることがあるんですよ。「前の先生はどうして私に断酒会をすすめてくれなかったん だ」ってね。だけど、今までの体験をまとめていくなかで、だんだんと思い出してきたんじゃないかなと思うんだけど、実際は断酒会につながるチャンスはたくさんあったんはずなんで すよね。もしかしたら、まだ機が熟してなかっただけでね……私はちょうど、断酒会に出会えるタイミングが熟した瞬間に立ち会えたのかなって気がしますよ。 池田 本当に自分で飲んでいた頃を掘り返していると、あっちこっちで断酒会のことが出てきて驚きました。いろいろな場面があって、そのつど断酒会のことを勧められてはいたん だけど、ただ私が耳を貸さなかっただけだったんです。前任の先生に対して本当に申し訳ないことをいっちゃった。だから、今飲んでて「断酒会なんか」って言っている人の気持ちがわ かります。……まあ、そういうわけで、先生には断酒会に入ってからの私をずっと診てきてもらったわけですよね。スタートした頃はスリップしたこともあったし、嬉しいことも悲しい ことも聞いてもらいたくて行きました。そして「しなのアメシスト」を始めて。でも初めの頃は、多分三ヵ月か四ヵ月に一度、診察にいく程度だったと思います。盆と正月なんていって ましたもの。 南風原 ええ、そうですね。 池田 初めの頃は「こうしてます、しました」ってご報告だけだったのが、今では「どうしたらいいですか」っていうかたちで先生に相談ばかりで、用事をこしらえてはこんなに頻 繁に伺うようになってしまって……考えてみると、こうなったのは昨年の飯田断酒会の一泊研修会からだと思うんです。というのも、先生がカメラの前で「精神科の医者は患者の生きざ まを見届けるのが務めである」ってことを公におっしゃってくださったから、それで意を強くして。ああいってくださっているんだから、いろんなことをご相談しながら、やめ続ける生 きざまを見届けていただこうなんてね。でもまだ、やっぱりこういうかたちで先生に診察室でないところでお時間をとって頂くというのは、これでも心苦しいんです、一応(笑)。でね 、『描きかけの油彩画』で何度も南風原先生のお名前が登場しますよね。冊子を読まれた方が、これだけのすごい飲み方をしていたアルコール依存症の人間の酒をやめさせているという ことで、飯田病院をアルコールの専門病院だと思われて、「うちの娘を池田さんの地元の飯田病院に入院させたい」なんて相談を持ちかけられて、とまどうことが何度かあったんです。 「いいえ、そうじゃないんですけど」って説明するのに時間がかかりました。そこでなのですが、先生はじめ飯田病院では、アルコールの患者さんに対してどういうスタンスで臨んでい らっしゃるんですか。私は飯田病院でよかったなって、今になって思うことがあるんです。人の話を聞かないという私の性格からして…… アルコール依存症の治療 南風原 性格はおいといて……(笑)。確かに私たちの病院は、アルコール専門病院なんて間違ってもいえませんよね。さらにいうとアルコール以外にも、専門といえるものはないん ですよ。それは飯田病院の特殊性という問題もあるんです。中央アルプスと南アルプスに挟まれた伊那谷の南の端には精神科のベッドが非常に少なくて、どうしても「何でも屋」になら ざるを得ないんですね。そんなわけで、われわれのスタンスは町医者であり、病院は野戦病院みたいな状況になってしまうんです。精神病院のベッドだけでなく地域のメニューも少ない という問題もあります。これはアルコール問題だけではなく精神疾患全般に共通なのですが、メニューの少なさというのは仕方がないけど申し訳ないことだと思っています。これが都会 なら、もっといろいろなタイプの病院やクリニックや施設や自助グループなどがあって、自分に合うものを探せると思うんですよ。それぞれの人が安心でき、元気になれるためのメニュ ーが増えればいいなと思うし、われわれも今の状況をよしとしているわけではないんですけどね。 池田 でも、私のうちは飯田病院で助かってきたんです。母なんかは私が飲んでしまって病院に助けを求めるわけですけど、「今度は受けてくれないだろう」「今度は断られるかも 知れない」っていいながら、それでもどうにもならなくなった私を連れて行くと、前任の先生が「じゃあ、少し休んでいきましょうか」とベッドをなんとかあけてくれたりして。お陰で うちの家族はなんとかその場をしのいでこれたのが事実です。これがもし専門の病院だったら、たいていきちんとしたプログラムに則(のつと)って、これが断酒への道ですと教育してく れるのに、それも聴けずに再飲酒を繰り返すということは、やめる意志がないとみなされて、受け入れてくれなかったり、強制退院というかたちになったでしょうね。でも、飯田病院は 受けてくれた。その点では私はもちろんですけど、まず家族が救われてきたなと思っています。 南風原 確かにね。アルコール専門病院だったら逆に大変だったかも知れませんね。さっきいったように、これが都会で、いろんなメニューがあれば問題ないんですよ。「うちはこう いう問題を抱えた人を対象にこういう治療をしていますよ」っていう病院の方針がわかり、いろいろなタイプの治療機関があれば自分に合ったものを探せますよね。飯田下伊那という伊 那谷の南の端では、うち以外に相談できる病院がないといってもいいですよね。そうするとここで断られたら、当事者も家族も行き場がなくなってしまいますよね。あまり専門に特化し すぎると適応が狭くなるし、いろいろな悩みに対応できるようにすると専門性が弱まる。うちの病院は後者になりますかね。もちろん精神科病院としての専門性はあります。そして、そ れは当たり前を大事にする専門性です。例えばアルコール依存症であれば、きちんと医師の診立てと病気の説明を伝え、安全に体からお酒を抜く手伝いをする。そこまではいいのですが 、そのあとやめ続けるお手伝いをとなるとうちの病院は頼りなくなっちゃうんですね。でも、逆に言うとその頼りなさかげんがいいのかなって気もするんですよ。「病院が頼りない分、 自分の足で歩くしかないよね」って思える力があればいいんですね。お酒をやめ続ける人生の全部まで抱え込めないという病院の頼りなさも、自分の足で歩くきっかけに変えられればい いなって思います。 池田 先生がおっしゃるその「病院は頼りないくらいがいいんだよ」(続きは本書で)